地震から一夜。実家にいます。

3月12日(土)。

昨日14時46分に発生した、三陸沖を震源とするM8.8(※その後、M9.0に修正)の「東北地方太平洋沖地震」。国内観測史上最大規模の地震となり、大きな被害のある地域の皆様の安否をとても心配しています。テレビやネットで映し出される津波の映像や被害状況の写真に衝撃を受け、ただただ呆然としてしまう自分がいます。まさかこのようなことが起きようとは、、、



私は昨夜、用意していた防災リュックを取り出して、実家に移動しました。昨夜から家族と一緒にいます。夫は帰宅できず、今は離れた場所にいますが、メールで無事は確認が取れて安心しました。




地震発生時は会社(6F)にいたのですが、長く大きな横揺れに恐怖を感じ、すぐに机の下にもぐりました。オフィスは昨年の春に新しく立て替えられたばかりの建物だったので、免震構造には信頼性がありましたが、それにしてもすごい横揺れだったので、机を押さえながら生まれて初めて身の危険を感じました。強い力で机に捕まっていたので、二の腕の筋が攣りました。



なかなか揺れが収まらない中、携帯電話からTwitterにアクセスし、揺れの状況や震源をチェックしたり、宮城県の事業所の友人と無事を確認し合いました。私の勤める会社、グループ会社は、東北地方(宮城県、福島県)に事業所が集中しているので、被災状況や安否が気になって仕方ありません。どうかどうか、皆無事でありますように。。



大きな揺れが収まった後も、余震が何度か続き、建物が揺れているのか自分の体が揺れているのか、よく分からなくなってきました。ゆらゆら体がずっと揺れていて、なんともいえない気持ち悪さを感じました。



窓の外を見ると、遠くの方(お台場方面)から黒い煙が上がっていて、火事が起こっていました。会社のビルの下ではブロック塀が崩れ、向かいの建物には消防車が数台到着しました。オフィスの天井では、一部の電気が剥がれ落ちかけていました。オフィスでは、地震発生直後からホワイトボードが運び込まれ、安否確認が取れない社員や、各事業所の被害状況がどんどん書き込まれました。特に宮城県の事業所が心配になりました。会社から安否確認メールが一斉に配信され、安否状況を返信しました。館内放送では、災害対策本部からの指示が随時流れていました。社内の消防隊や管理部門が、フロアを見回り続けました。日頃の防災訓練や安全管理の活動は、本当に役立つものだと昨日ほど実感した日はありません。揺れは本当に怖かったけれど、目の前で行われている冷静な対応を見て、会社にいれば安心だと思いました。



交通機関はすべてストップしてしまっていたので、帰る方法は徒歩のみ。近くはないものの、会社から自宅までの道は非常に分かりやすく見慣れた道、歩いて帰ることに決めました。同じ世田谷区内に住むご近所さんの同僚たちと4人で、17時20分頃歩き始めました。初対面の方が2人いて、うち1人は、1995年の阪神淡路大震災にも被災されたそうで、歩きながらお話を伺いました。



先が長い道のりを、4人で励まし合いながら歩き続けました。道は自動車で大渋滞、時折パトカーや消防車のサイレンが響いていました。公衆電話には長蛇の列。地図を手に持ち歩いて帰宅する人たちや、「回送」と表示されたタクシーと、ひっきりなしにすれ違いました。バスは運行していましたが、歩いていて追い抜かすことはあっても追い抜かれることは1度もありませんでした。バス停には、見たことないほどの長い列ができていました。コンビニでは、お弁当やおにぎり、サンドイッチなどの棚がカラッポでした。



水分や食料を持っていて良かった。歩きやすい服、靴で通勤していて良かった。リュックで通勤していて良かった。



会社を出て約2時間半で自宅に到着。家の中の状況が気になっていたので、帰って即、全ての部屋を見回った結果、家具は地震対策や補強をしていたこともあり、床に落ちている物や動いている物は何もなく、唯一、タンスの両開きの扉が、開け放たれているだけでした。避難することになるような地震がまた起こってしまう可能性も考えられたので、懐中電灯と防災リュック、スニーカーを取り出し、出入り口を確保。また、今日予定していた約束の中止連絡を受けたり、友だちの安否の連絡を受けたりしました。



携帯電話の通話もメールも繋がりにくかったので、なかなか夫とは連絡が取れなくて心配でしたが、22時頃ようやく電話で声を聞くことができました。電車が動いていないので帰ることができず、別々の夜を過ごすこととなりました。余震もあって夜1人では少し不安だったので、23時半頃実家に移動しました。



1人じゃない安心感はあったけれど部屋は1人(+チワワ2匹)、夜中も余震が続いていたので、明け方うとうとしても揺れる度に起きてしまい、緊急地震速報の音や地震速報にドキドキしました。震源がどんどん変わり、新潟県や長野県でも大きな地震が起こり始め、群馬県に住む夫の家族が心配になりました。



朝を迎え、改めて各地の被災状況を目にして、ただ無事を祈ることしかできませんが、今は節電して過ごしています。各地に住む友だちは、無事だろうか。。どうか無事でいてください(><)



まだ夫は帰宅できていませんが、私は実家でニュースを見て過ごしています。
あ、また揺れてる。。。



とにかく、無事でいます。心配して連絡をいただいた皆さま、ありがとうございました。これからまだ何が起こるか分かりませんが、落ち着いて対応していきましょう!
自転車通勤。 | Home | 梅ヶ丘で「梅・夢フェスタ」。

コメント

3月11日(土)14:30分頃の1回目の地震は怖かったです。
 
 土日の2日でビックサイトを会場に、豆腐業界の展示会があったので、展示準備をするためにいっていたのですが、今回の地震はかなりの規模なので展示会はビックサイト側の判断で中止になりました。
 
 そのあとが大変でした。交通機関が停止するし近くのコンビニは、入場制限がかかって食料が確保できないんですから^^;
 
 そんなときに展示会で販売する予定の豆腐加工品を無償提供してくれる会社が現れてその場にいた人たちが救われました。
それでも、帰宅難民の方は相当いました。他の会場でもイベントしていたので・・・・
自分たちは、トイレや暖房の効いているビックサイトで非難できていたので、一晩過ごせましたが、寒いところで一夜や無理です。

 明け方、車で会社へもどりましたが電車がまだ動いていませんでした。自分はバイクできていたので、自宅へ帰る事が出来ましたが、移動手段を絶たれると、むやみに動かない方がいいです。

それにしても自然の力は凄い

2011/03/12 (Sat) 12:25 | マジカルママ #- | URL | 編集

七井さん、ご無事でなによりです。
ご両親も安心なさったことでしょう。

我が家も全員無事でいます。
旦那は、夜中4時間半かけて(途中ドンキホーテで自転車を購入・・・)品川から横浜まで帰ってきました。

七井夫さまも、早く無事に帰宅出来ますように!

2011/03/12 (Sat) 13:23 | だ #- | URL | 編集

先輩も無事だったんですね。よかった(´ー`)

2011/03/12 (Sat) 17:16 | ひで #- | URL | 編集
とにかく無事です

こんばんは、汐入日本人です。

本当に凄い揺れでした!
1回目の揺れの時、屋外にいたのですが、最初は地震だなぁ、と何気に思っておりましたが、だんだん揺れが激しくなってきて、立っていられなくなり、植え込みにしゃがみ込んでしまいました。そして上を見ると電信柱が左右に大きく振れていて頭上に倒れてくるのでは、という感じでした。

直ぐに帰宅するべく予定を変更しましたが、鉄道は不通、タクシーも無理っぽかったので、都営バスのバス停まで歩きました。幸い、何回か訪問した場所ですし、この辺のバス路線も知っていたので迷うことなく辿り着けました。自宅からは10キロと離れていない場所だったので、いざとなったら徒歩で帰れると思いながらバスを待つこと10分。その間公衆電話で自宅に電話していたりして割と直ぐ時間は過ぎていきました。バスの姿が見えて、停留所に止まる瞬間、また凄い余震です!
バスがウサギみたいにピョンピョン跳ね上がっています。(決してオーバーではない!)そのバスに乗った途端に運行指令無線でバスも一時道路待機に。2回バスを乗り継いで1時間後帰宅。自宅は玄関前に地割れができてヒビが入り、段差に。外壁の一部も剥がれ落ちていました。家具や食器は散乱し、自分の部屋に入ると足の踏み場もなく書籍や家具もとんでもない事に!そして何と倒れた家具の下敷きになっている孝子さんのLPレコードが・・・掘り起こしてみたら真っ二つに割れていました。その他にCD,DVDも散乱してCDケースに亀裂が入っているものもありました。

そして、夕方には豊島区にある娘の学校から連絡があり、迎えに来れる保護者はクルマ等で迎えに来て構わないとの知らせがあり、クルマで迎えにでました。普段40分位で行ける場所を2時間半。戻りは2時間かかりました。各幹線道路は郊外へ帰る徒歩帰宅者で溢れかえり、コンビニやレストランは黒山の人だかりでごった返していました。当夜は迎えに来れない保護者もいて、100名余の生徒が学内で夜を明かしたそうです。

とにかく、今までの人生で経験したことのないことばかりを1日で経験し、不安で一杯です。でも私なんか自宅で夜を過ごせたし、寒い思いもしませんでした。被災した方々にはもっともっと苦しい思いをされている方がたくさんいらっしゃいます。心よりお見舞い申し上げます。そして1日でも早く復興を遂げるようにお祈り申し上げます。

2011/03/13 (Sun) 00:33 | 汐入日本人 #- | URL | 編集

マジカルママさん。

こんにちは。先日は3人で久しぶりに楽しいお湯でした。(マジカルママさんの自転車、かっちょよいですね)

あの大きな地震の日はビッグサイトにいらしたのですね。先日お会いした時、当日の様子を色々教えていただいて、展示会で販売する予定だったお豆腐がふるまわれたり、ビッグサイトのコンビニが大行列になってしまったりと、あの日は3人ともそれぞれ、違った場所で非日常的な一夜を過ごしたのだなぁと実感しました。

毎日ニュース番組の映像を見ていると、本当に自然の力は想像を絶するものがあります。震災当日は、ただただ映像を見ているだけで呆然としてしまい、言葉を失ってしまいました。。

2011/04/02 (Sat) 00:19 | 七井 李紗 #rPMUoM7I | URL | 編集

だちゃん。

久しぶり!!!コメントいただいたままになってしまっていて、大変遅くなりました。地震の日、だちゃんのダンナサマは自転車を買って帰られたのですね。あの日は自転車が売れに売れたとニュースで見ました。職場から4時間半、無事におうちに帰ることができて、本当に安心したことでしょうね。


年明けに開催された会には、残念ながら参加することができなかったので(みんな元気だったかなぁ?)、また落ち着いた頃にみんなで集まりたいなぁ~

2011/04/02 (Sat) 00:24 | 七井 李紗 #rPMUoM7I | URL | 編集

ひでさん。

お久しぶりです。無事でしたよ!ひでさんはちょうど沖縄に行っていたのですよね、無事に帰ってくることができて良かったです。そして、ご結婚おめでとうございます☆

2011/04/02 (Sat) 00:26 | 七井 李紗 #rPMUoM7I | URL | 編集

汐入日本人さん。

こんばんは。あの日は本当に無事で何よりでした。そして当日、夜早い時間にお電話で連絡がついて良かったです(なかなかつながらなかったですよね...)。地震直後は余震の心配もありましたし、電車も平常通りには動いていなかったので、翌12日の予定は延期することになりましたが、来週は久しぶりにゆっくりとお会いすることができそうですね。3月11日は、ご自宅の家具や食器や本、そして孝子さんのレコードまで落ちてしまっていたということで、東京でも大きな揺れとなりました。バスがウサギのようにピョンピョン跳ね上がっている様子など、文字を読むだけでも怖いです。。。地震、津波の大きな爪跡は、岩手県・宮城県・福島県、そして関東でも千葉県や茨城県に広がっていますし、毎日ニュースでその様子を見る度に心が痛みます。自分のできる範囲のことしかできないことが本当にもどかしいですが、被災地の復旧、復興を祈るばかりです。

2011/04/02 (Sat) 00:33 | 七井 李紗 #rPMUoM7I | URL | 編集
あの日を振り返ると…

クリコさん。ごぶさたしてます。まだ、この時は「泉」を知らないとき。私はその大震災の渦中にありました。街灯も真っ暗。何もかも闇です。震度6強といってましたが、実質感じたのは震度7以上。10分近くも揺さぶられ、もう全て終わりだ。そう思ってました。携帯、固定電話もストップ。
実家とも連絡がつかない。じゃ県外は?何を思ったか、親戚でもなく、一番心配したのは、他でもない、岡村さんでした。東京都心が完全ストップ。家で娘さんが困ってるだろう。そう思ったら、いてもたってもいられなかったのが実際でした。マリアージュ家全員無事です!のメッセージを入れ、ファンクラブに送信。奇跡的にこのメールは東京に送られました。このおかげで、被災エリア以外なら、通信できる!それがわかり、信州のいとこにメール、私の両親も無事が確認出来たのです。
そして。水曜日。「?」加藤さん・岡村さんで登録していた名前でメール受信。開けたら、
「え~っ!?」そのあと、身動きできませんでした。
おかむらたかこさんの名前。TAKAKO CLUBの連名のメールでした。ネットラジオで、震災後の孝子さんもずいぶんなやまれたそうです。すぐにでもなにかできないか?
そして、とっさに、まずこれをやろう。
孝子さんが思いついたのが、3.11・14:45直後から被災地から送られた皆さんに、お見舞いと激励のメールを送ったんだそうです。
マスターにお見せしましたが、そのメールを持参しましょう。私以外に東北の「泉」めんばーで孝子さんメール頂いた方、おいでなのでしょうか?ずっと探しています。

2012/11/12 (Mon) 17:02 | マリアージュ家のパパ #- | URL | 編集
忘れることのできない日です。

マリアージュ家のパパさん。

こんにちは。忘れることのできない3.11からの日々。特に、マリアージュ家のパパさんにとってはお住まいの地であの大地震に遭われ、改めてお見舞い申し上げます。地震が起きた日の出来事やご心情を読ませていただきました。マリアージュ家のパパさんご自身、そしてご家族もさぞかし大変だったことと思いますが、そのような状況下でも周りの方々の無事を案じていらしたのですね。

どんな時でも周りの方を気遣われ、前向きに過ごしていらっしゃるマリアージュ家のパパさんのお気持ち、コメントから伝わってきました。コメントをお寄せいただき、ありがとうございました。

2012/11/18 (Sun) 16:24 | 七井 李紗 #rPMUoM7I | URL | 編集

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