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東日本大震災から3ヶ月、陸前高田市のお話。

6月11日(土)。

今日、東日本大震災が発生して丸3ヶ月が経ちました。
改めて、今回の地震におきまして被災された皆様、そのご家族の方々に
心よりお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。


地震が発生してからの3ヶ月間、義捐金の募金や支援物資送付の協力、節電、ゆずり合い、東北地方産の食べ物や飲み物、お酒の購入、消費など、自分にできるほんの些細なことしかすることができませんでしたが、今日は私のお友だちで、イラストレーターをされているnapocon(ナポコン)さんのお話を、どうしても紹介させていただきたいと思っています。


今回、このブログで紹介をさせていただくにあたり、napoconさんの日記(mixi)の内容や写真、画像等、全ての引用についてご快諾をいただきました。ほんの些細なことしかできない私ですが、少しでも被災地の様子や、彼女ならではの“オリジナリティ溢れる”支援活動について、少しでも多くの方に知っていただけたらいいなと思っています。いつもより少し長い内容となりますが、ぜひ最後まで読んでいただけたら嬉しいです。


napoconさんは、今回の震災で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市のご出身。震災発生直後から、Twitterを中心に、生まれ育った陸前高田市のために、様々な情報発信をされていました。震災直後、彼女はご両親となかなか連絡が取れなくて、私もずっと安否を心配していました。その後、かなり日数が経ってから、ご無事だったことが分かりほっとしました。震災以降、napoconさんは継続して陸前高田市のために、多くの情報発信をされていて、主にTwitter(リツイートの内容も含む)での発信内容を日々拝見し、ニュース報道では分からない情報ばかりだったので、いつも気にして読んでいました。


それではまず、5月8日にアップされた日記(mixiより全文および写真を引用)を紹介します。




2011年5月8日 「陸前高田市」

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ゴールデンウィークにやっと地元の陸前高田市に帰った。
高台の町の実家はほとんどいつもと変わらず。

それでもすぐ先のから海に続く市街地はなんにもなくなってしまってた。
これが延々と気仙沼から大船渡、海岸線沿いを続く。

高田の倒壊面積は豊島区と同じ。

通った高田高校も3Fまで水が達した。
海岸から1キロ内陸に入った避難場所だった市民体育館は100人が逃げ込んだが
天井まで水が達し、助かったのはわずか3人。

報道されないけれど全てをなくして、避難所で自殺した方もいる。
向かいのおばあちゃんは、高田病院に入院していて津波で流されてなくなった。

地震当日、地震で電気は遮断され、その後津波が襲い情報は分断。
助かった人たちも何が起こったか把握することがしばらくできなかったそうです。
私も親戚、友人、知人何人も亡くなりました。
まだ見つかっていない人もたくさんいて、まだがれきの中を探している人も
たくさんいる。

行政が機能していないというが、300人あまりいた市の職員は70名超が
津波によって 死亡している。機能したくてもできない。

実家は高台の街だが、それでもすぐ先内陸8キロ地点まで津波はきており、
そこでも 2階家屋までが水没。

津波被害のなかった私の母校の小学校は、遺体の安置所になっている。
歩いて5分なのでいってみたら、グラウンドには仮設のプレハブが20個以上置かれてた。
全部窓は新聞紙が貼られ、中は見えない。
聞いたら、そこで検死が行われ、その後体育館に安置されているのだという。

津波でコンクリやトタンや車などにまかれながら死亡した人たちなので、
遺体の損傷は 激しく、首がなかったり手足がない遺体も多いとか。
砂やガソリンを浴びて真っ黒。
目玉が飛び出てたり、内臓が出ていたり、とてもじゃないが判別などできないそうだ。
それでも、肉親を探して各安置所を遺体確認に回っている方はまだいて、その心中は
想像もできない。

ライフラインが全て復旧しているのは我が家を含めて1割だけ。
あとは電気がまだだったり、水道が出なかったり。
水源が津波の塩で塩害にあって使えないから。
やっとライフラインが少しだけ回復したけど、
みんな自分の家族の安否確認と食料確保で、周りを考える余裕なんてない。

食料を買い出しに行くには車で30分以上かかる内陸へ行く状態が続いている。
そんなか、連休中ボランティアに混じって、街を背景にVサインしている観光客もいる。
自宅がある人は避難所にいっても、家があるという理由で物資がもらえないパターンもある。

街中は、海水面と海抜が変わらなくなってしまったため、人の気配はあまりしない。
がれきだけど、どこに何があって誰が住んでいたか、思い出せる。
私にとっては瓦礫じゃない。

海水を被った塩害で、街の植物はみんな枯れ木のようになってしまった。
遮るものがなくなってしまったので、街を歩くと砂塵が飛び交って海風をもろにあびてしまう。

地元の生き残っていた友達と再会したら、その子は街にまだ入れないと言っていた。
あそこに●がある、その記憶しかないから、風景が一変したことを受け入れられない
と言っていた。脳が受付ないと。

1200年に一度というものがなんで地元を襲ったんだろうか。

市街地を車で見たけど、とても怖くて降りれなかった。
街のかわりようも怖かったし、道路が限られてしまったので、
降りたときに余震が来たら どうしようというのもあって降りれなかった。
それなのに、観光客らしき人が、記念撮影をしている。

物見遊山で高田市内に入る人も確実にいて、
ただでさえ少ない道が渋滞していて、支援が滞る。

それが、見たこと。
後日整理して書くけど、あまりにも何もかもが変わり果ててぽつんとするしかなかった。
でも、こっちにいる人みんなに知ってほしい。




息をするのも忘れてしまうような内容で、一気に読み進めてしまいました。


本来の彼女は、いつも底抜けに明るくて、お酒が大好きで、深酒で(笑)、びっくりするような酩酊エピソードがたくさんあって(笑)、でも仕事がめちゃくちゃ大好きで(飲んだ後でも)一生懸命で、友だちもめちゃくちゃ多くて、いつも面白いことばっかり考えてて、人の特長捉えたイラスト(似顔絵も)をサラッと描けて、すごくステキな写真もいっぱい撮っていて、“変な風”を吹かせたクリエーターじゃないところが良くて、意外にも(?)料理が上手で、・・・って、いいことばかり書いちゃったけど、いくつになってもふざけていることが大好きで(笑)、次はどんなことやらかしちゃうんだろう??って、何か気になっちゃう子なんです。


そんな彼女が、震災直後から発信していた情報を見続けていると「napoconは、一体いつ寝ているんだ!?」「体は大丈夫なのかしら!?このままじゃ、napoconが倒れちゃうんじゃない??」と心配もしてまいました。


そんな彼女が、今進めている“彼女ならでは”の支援活動を昨日ブログにアップしていて、「napoconらしいな~」と思いながら、「協力したいな!」って思いました。5月8日の日記とはまた一味違ったテイストの日記ですが、故郷を想い続ける彼女にしかできない活動を、ぜひ紹介させていただきたいと思います。




2011年6月10日 「私がしでかしていること」

地震以降のことをかけば、整理できないくらい長い話があるのですが、Twitterを通じて、全国各地のケセン地方(陸前高田市・大船渡市・住田町)出身の人と、方言を交わす機会がありました。


このときふと思ったのは、地元の方言の力。
※興味あるかたは、#kesengo というハッシュタグでツイッターを検索してみてください。
nyonyo1000さんという方がこのタグを作ってくれました。


特に、私の実家、陸前高田市と隣接する地域は、岩手の中で気仙地方と言われ、
その言語は日本のどの言語体系にも属さぬ独自のもので、「ケセン語」と呼ばれています。


みんな辛い現実を呟きたくないから、方言でとりとめのない話をする。
それがとてもに癒しになったし、同じ方言の人同士で言葉を交わすから、
孤独を感じないで済む。



特に、私のような、地元を出て久しい人ほどそう思っていたようです。
ケセン語でこの言葉、こういうよね?という話で毎日盛り上がり、
その盛り上がりを見てまた新たに地元の方がハッシュタグに参加・・・という楽しさで
私もツイートしまくっていました。


さらに、こんな感じでは?と悪ノリしてイラスををツイートするとみんなが
それでゲラゲラ笑ってくれる。


みんなしんみりしてたけど、こんな子供のころやってた落書きみたいなことで
震災のこと一瞬でも忘れて笑ってる。。。嬉しい。



そこでアイデア降臨。
まてよ、、ケセン地方、形あるものはなくなったけど、
方言をモチーフにしたグッズでも作ればよいかしら?


もし販売できたら、寄付金を自分で継続的に捻出できるかも?そんで、
もし地元が気に入れば、地元にデザインデータを渡して販売してもらってもありかな?
それなら地元の経済に役立てるかな?


お菓子屋さんが復活したら、パッケージにデザインを提供とか?
キャラグッズなら、色々展開できるし、そしたら継続的に寄付できるかしら?
うまくいけばご当地キャラに化けさせることもできるかも?
そしたら、このさき長い復興のみちのりのケセン地方を、グッズを通じて常に意識
してもらえるかな?


そんな思いつきから、

・ほっこりしたい人
 →ケセン地方の典型的なおばあちゃんをモチーフに。

・元気になりたい人
 →子供が好きなぼんこ(うんこ)モチーフに、KSNレンジャーを作って、
  地元の謎ヒーローとして、ケセンの復興を支えていることにしよう。


という、2つの絵を描いて、ドロップシッピングにて販売することを思いあたりました。
いかにも一本松とかいう象徴じゃ、一度買ってもらって終わってしまうから、珍品系
ほうが話題を呼ぶし、グッズ収集する人には継続的にかってもらえるか、ということで
ない頭をひねくったら降臨して、キャラクターが誕生してくれた(笑)


G:\20110610-4


ひとつキャラクター誕生するたび、ツイッターに投稿したら、ケセン出身の人が喜んでくれたり、
このキャラクターはこんな設定はどう?とか楽しんでツイートしてくれるのが、
私にとっても本当にうれしかった。



なにしろ、KSNレンジャーは、ふざけて「う●こ」を方言で「ぼんこ」っていうんだけど、
それで出来てるキャラはないし、こりゃ、なかなかレアキャラにできるかも?
と思ったら、勝手にキャラが続々とわいてきました。
ま、私は大体子供のころから、お下劣な落書きでいたずらばっかしてたから、
そういう下地があったんでしょうよ。。。


自分に出来ることは、こうやって人に温かい気持ちになれるものを作ることじゃないかしら?
絵ひとつで、くだらね~!って腹の底から笑ったりすることもできるよね。
がんばろうがんばろうの押しつけで、疲れてる人が「しょうもね~」って笑えることで
肩の力がぬけるんじゃないかしら?



思いついてから早かった。ドロップシッピングという仕組みもマッチしてたと思う。
(前から知ってたけど、活用する機会を逃してた)
5月の20日前後に閃いて、どんどんキャラが出来上がってきました。
全員そろった時はツイート上でみんなが喜んでくれてうれしかった。


5/25から発売開始して、2週間でロイヤリティは今日の時点で1万4000円を超えました。
※ドロップシッピングとは、製品の制作・販売はこのドロップシッピングサイトが行い、
デザイン提供に対して20%前後のロイヤリティが支払われる仕組みです。


先週あたりから、実際に商品が手元に届いたそうで、着てる姿をツイートしてくれたり、
それを着て実際に地元の一本松の根元へ行き写真を送ってくれる人もいました。
全然知らない九州の人も買ってわざわざ九州大学の門の前で写真を撮って送ってくれました(笑)


地元の人も、どんどんツイートに参加してくれて、実際に買って地元を歩いたり
よろこんでくれているみたい。


この謎の活動に賛同してくれるツイート上で知り合い、先週リアルに会って、
色々なことが繋がり、ロイヤリティの使い道は、夏に向けて半袖が不足している
高田に、改めてグッズを買って、

●ケセン地方の保育所/幼稚園に届けて子供に着てもらう

ということにしました。
地元の消防団や保育所とパイプが出来て、届けられる見込みがついたのです!
ずっと宣伝や広報の仕事もしてるんだもの。頭をひねくり出して、どんどん出来ることします。



<ご協力お願いします>

下記サイトで販売始めました。
お買い上げもそうですが(笑)、バナーやタグもありますので、どんどんひろめてください。背景は大まじめですが、「よくわかんないけど、なんか変なキャラがはやってるらしい!」という流れにして、購入者も寄付、という負担に思わず、グッズを集めたら知らぬ間に支援につながってた、という流れにしたいのです。

バナー貼ってもいいよ、タグをhpに載せてもいいよ、という方はデータを渡しますのでメッセください。


【販売サイト】はこちら→ (Click!)

G:\20110610-5

G:\20110610-6


よろしくお願いします!
私もどんどんグッズ作って投稿します!


※何言ってるかわかんないけど(笑)、#kesengo#bonkoでツイッターを検索してみてください。
 私投稿しまくりです!





以上が、napoconさんの活動です。



私は、子どもの頃から「夏休みに田舎に帰る」という経験をしたことがありませんでした。函館出身の父は、(私にとっての)祖母とともに若い頃から東京に出てきていたし、母は東京都足立区出身。だから、2学期が始まると「夏休みは田舎のおじいちゃんとおばあちゃんの所に行きました」っていう思い出を話す友だちが、素直に羨ましかった。大学生や社会人になって、故郷を離れてひとり暮らしをしている友だちもたくさんいたけれど、長期休暇になるとみんな故郷に帰省して、「地元に帰ると地元の言葉に戻るよね~」なんていう話を聞くと、「ほっとできる場所なんだなぁ」って、温かい気持ちになります。私にとっても「生まれ育った東京、世田谷」が大好きで、だからこそずっと離れずに暮らしているのだけど、遠く離れた「故郷の景色、言葉、両親、学校、友だち、想い出」って、やっぱり特別なものなのだと思う。経験したことがないから大げさな言葉になっちゃうけど、「生まれたルーツ」「IDENTITY」なのではないかなって、思う。だからこそ、この「ケセン語」によるキャラクターやグッズは、遠く離れた故郷を想っている方や、今暮らしている方、そして、震災をきっかけに被災地に何か少しでも支援したいと感じている人たちにとって、共感したり、懐かしく想ったり、ほっこり温かい気持ちになったり、元気が出たり、笑ったりする、様々な力を生み出すことができるんじゃっているんじゃないかなぁ?って思いました。すぐに結果が出なかったとしても、アイデア溢れる彼女なら、地道に継続して楽しく活動を続けていくと思うし、まずは活動を知ってもらうことからだと思ったので、このブログで紹介をさせていただきました。


KSNレンジャー、応援するよ!!!
G:\20110610-7



<リンク集>

● napoconさんのサイト http://napocon.petit.cc/banana/

● napoconさんのTwitter http://twitter.com/napocon

● KSNレンジャーシリーズ http://www.upsold.com/dshop/goods/napocon
 <デザインTシャツとオリジナルグッズストア UPSOLD(アップソールド)>

● 希望の一本松-KSNレンジャー http://bit.ly/mDifZH
 <デザインTシャツ「Oh Yeah」>

● 「#kesengo」 http://twitter.com/#search?q=%23kesengo

● 「#bonko」 http://twitter.com/#search?q=%23bonko

● 「3.11から私達は共に、歩んでいる」ポスター 
  http://napocon.petit.cc/banana/20110612232025.html

テーマ: 東北地方太平洋沖地震 | ジャンル: ニュース

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コメント

この日記を見て改めて震災直後の被災地の事を思い出しました。

自分を可愛がってくれた会社の専務も陸前高田で引退後に戻られて被災し亡くなってしまいました。
海や松茸狩りに連れて行って貰った事を昨日のように思い出します。

また、自分が行った福島、宮城も言葉や文字に出来ない程の悲惨な状況でした。

今、街中に溢れる『がんばろう!日本』や『がんばれ!東北』の文字を見るとちょっと違和感を感じてしまいます。
被災地の人たちは充分頑張ってるのに・・・

自分達、被災地以外の人間はテレビやラジオや新聞等でしか情報を得る事しか出来ないけど、報道する事が決して出来ない事実が沢山ある事を忘れてはいけない。

自分が行った時もボランティアの振りをして記念写真を撮ったり、狭い道に車を停めて笑顔で写真を撮って人を何人も見ました。
自分さえ良ければ他人はどうでもいいと言う今の日本人の象徴を見た気がしました。
もっと、真の優しさや思いやりを持った人が多いと良いのにと思いました。

まだ、自分に出来る事があったら何でも言って下さい。
人を思いやる気持ちや熱い心、行動力は無くしてないつもりです。


地元で報道に携わる人々の名誉の為に一言。
真実を伝えたくても伝える事が出来なくて苦しんでいる人、放送する為に映像を編集してショックを受けて休職をした人、通常の放送に戻り笑顔でいなければならない人、
彼等の多くも被災し、身内を亡くしている事を忘れないで欲しいです。

自分も微力ながら協力させて頂きます。

2011/06/11 (Sat) 09:10 | たーくん #Xnq8k9Uo | URL | 編集
(・∀・)ノ

涙が止まらず・・・・(/_;)

母方の祖母の従兄弟が気仙沼にいます。今回の震災で未だ安否の確認が取れない伯母もいます。

初めて気仙沼に行った時、気仙沼港に活気があり、また海が綺麗で、お会いする方皆さんが温かくて。

海や山、自然と共に生きている町でした。

津波の恐ろしさも気仙沼で勉強しました。

その気仙沼の皆さんが震災の後すぐに「今出来る事」を皆さんと協力してされている姿を見た時“自分には何が出来るのか”そればかり考えていました。

実際は自分の生活がいっぱいいっぱいで何も出来ず
(-_-;)

※たーくんさんがすぐに被災地にふっ飛んで行ったことは本当に尊敬しているんです。


今回の日記の中にあったグッズの手提げバックがかなり気に入ってまして(^-^)

購入したくて探してみます(o^o^o)


また、何かありましたらぜひお知らせください。

2011/06/11 (Sat) 10:30 | 天晴れ◎ #- | URL | 編集
インターネットラジオ

お読まれおめでとうございます。神様のご褒美かな!?

2011/06/13 (Mon) 22:18 | 匿名 #- | URL | 編集

インターネットラジオでクリコさんのメール読まれましたね。おめでとうございます。
震災のことをクリコさんの言葉で孝子さんに伝えられたこと、とてもよかったと思います。
私も病後、インターネットラジオで読まれパワーをもらいました。きっとクリコさんもそうでしょうね。
震災で苦しんでる方たちの分も元気にいなきゃですね。

2011/06/13 (Mon) 23:02 | コンソメ #VfncrfYI | URL | 編集
感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。

たーくん。

こんばんは。今回も早々にコメントをいただき、また、たーくんの想いを綴っていただき、感謝しています。震災の時、支援物資を運ばれたたーくん。テレビに映らないような避難所や、避難所に行けない方への支援、物資が届かなくて困っている方へのサポートなどのお話を伺い、想いを行動につなげるお力、心から尊敬しています。

「頑張れ」という言葉への違和感、先日、いわき市で仕事をされている方と会話をしていた時に、同じ事を仰っていました。世間に溢れる「頑張れ」という言葉に、「何を頑張れというのか」と。その方は今回の地震で「九死に一生」という状況だったようで、「もしあの電車に乗っていたら・・・」、東京の家族の元に様々な苦労を重ねて戻る途中で見た、「郡山や水戸も大変だった」という被災状況、被災された方の重みは、想像を越えていました。

これからも様々な支援活動が出てくると思いますが、自分にも何かお手伝いできることがあれば・・・という気持ちで、想いの輪を広げていきたいと思っています。たーくんも何か困ったことや協力が必要なことがありましたら、声をかけてくださいね。

2011/06/15 (Wed) 00:13 | 七井 李紗 #- | URL | 編集
温かい輪を、つないでいきたいですね。

天晴れ◎さん。

こんばんは。長い内容となりましたが、最後まで読んでいただき、天晴れ◎さん、気仙沼にご親戚の方がいらっしゃるのですね...不安なお気持ちや辛いお気持ちのある中、今回の支援活動を気にかけていただき、感謝しています。天晴れ◎さんの書いていただいた「気仙沼港に活気があり、また海が綺麗で、お会いする方皆さんが温かくて。 海や山、自然と共に生きている町でした。 津波の恐ろしさも気仙沼で勉強しました。」という文章、景色が浮かんでくるような気持ちで読ませていただきました。

私も、1つ前のコメントに書きましたが、たーくんの行動に尊敬をしていますし、その活動に協力をされていた天晴れ◎さんのことも、同じように尊敬しています。天晴れ◎さんも、何か困ったことや協力が必要なことがありましたら、声をかけてくださいね。

2011/06/15 (Wed) 01:14 | 七井 李紗 #- | URL | 編集
インターネットラジオ、ドキドキしながら聴きました。

匿名さん。

こんばんは。いつもタイムリーなコメントをいただき、ありがとうございます!インターネットラジオには初めての投稿で、ドキドキしながら聴きました。インターネットラジオがアップされたこの日は、術後の診察も一区切りついた日だったので、「神様のご褒美」という言葉を実感した日となりました。支えてくださった皆さまにも、「感謝の気持ち」でいっぱいです(*^^*)

2011/06/15 (Wed) 01:23 | 七井 李紗 #- | URL | 編集
インターネットラジオで、元気をいただきました。

コンソメさん。

こんばんは。まずはこちらに(^^) タイムリーなコメントをいただき、ありがとうございました。思っていたことを孝子さんに伝えることができて、読んでいただけて、素直に嬉しかったです。5月の松戸は、震災後初めてのコンサートだったので、いつも以上に感じるものがあり、私にとって強く印象に残る1日となりました。コンソメさんがお読まれされた時も、ご病気をされた後のタイミングだったのですね。本当にパワーをいただけました。元気になっていかないとなぁ!って、大きな励みになりました^^

2011/06/15 (Wed) 01:35 | 七井 李紗 #- | URL | 編集

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